森のようちえん 森のたんけんたい

森のたんけんたいは、愛知県春日井市の森の中で活動しています。子どもの主体性を尊重し、自分や相手の気持ちを大切にしながら保育を行っています。自然の中での活動が主ですが、音楽、造形、劇などの芸術活動や表現活動なども行っています。

2学期最後の保育、最後のケンカ

2学期最後の保育の日、年少のゆうくんと年中のはっくんのケンカのエピソードです。

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こんな気持ちのいい仲直りってあるんだね。まわりの子たちも、びっくりしながらも、微笑ましく見ていました。

年上だから譲らなきゃだめとか、心は納得していなくても、とりあえず大人が見てるから譲るとか謝るとか、ごめんねを強要するとか、言わなくても大人がそんな威圧的な雰囲気を出して子どもたちに感じさせるとか、そういったことが実際の保育現場で行われているのを見て来ていますが・・。

幼少期に思い切り遊んで、思い切りぶつかり合ったり、受け止めてもらう経験の積み重ねで、自分も人も、同じように大切に捉えて、いろんな人のことを理解しようとし、ひとりの人として尊重できるようになっていくと感じています。

大人の顔色を伺って日々を過ごし、遊び、トラブルがあったときは、とりあえずその場をしのぐために謝ったり譲ったりと、表面的に上手くやっていき、本質的なかかわりができないまま大きくなった子たちは、そしてそのストレスを大人の見えないところで発散しなきゃいけない子たちは、それがいい子と大人に褒められた子たちは、大きくなってからどこでひとりの人として尊重されている実感を感じられるのか、どこで思い切りぶつかり合ったり、自分の心に寄り添ってくれる人に出会ったり、心ゆくまで受け入れてもらえるのだろうか。

そんな過程や背景があるんだから、子どもたちの自己肯定感が低いなんていうのは悲しいけど当たり前ですよね。子育てする親世代も自己肯定感が低いことが言われていますが、その感覚が根付いていることは、子育てするうえでしんどいし、今は子育ても孤立しがちなので余計に精神的につらいものがありますよね。子ども時代から、いろ~んな人に、どんな自分も、そのままを受け止めてもらえる環境があったなら!

自分にも相手にも同じように、寛容にいたいな~。いろんな面があって当然なんだからね。

たんけんたいの子どもたちも、今の幼児期に、思い切り遊んで、ぶつかり合って、受け止めてもらって、寄り添ってもらって、そんな経験が自分たちの心のなかに根付いて、きっと生かしていけますように~!

2学期もありがとうございました。子どもたちとの日々を、保育者としての思いを、どんどん発信していく3学期にしたいです。自分のなかの感覚な思いを、潜在的なものにしておくのもいいけれど、自分のなかから出さないとな、出すことによってまた発見があったりしますもんね。子どもたちによって動かされる感覚、大事にしたいです。

ゆきほ